石太郎は屁の名人である。名人である故にみんなは軽蔑して屁えこき虫という。

 受け持ちの石黒先生が辞められ、町から若い藤井先生が来られた。春吉はこの先生が文化的な都会人のようで好きになった。先生は「君」と呼び、正確に読ませようとするところも好ましかった。朗読の時、春吉が読み始めようとした途端、先生はひえっというような悲鳴をあげられた。石の屁だ。春吉は羞恥の情に駆られ、組に石太郎のような奴がいるのがいたたまれなかった。

 町の小学校との合同運動会でも、石太郎の存在を恨めしく思った。町の観衆は石太郎がへまをする度に笑う。まったくぶち壊しである。

 人はやがて環境に同化してしまう。藤井先生も都会気分が抜けて、田舎じみてしまった。言葉も服装も、村の人と同じようになり、屁こきの石太郎を指図して、運動場のすみの土管に追い込んだいたちを真剣に捕らえようとしている。

 秋のある日、粘土細工の時間に春吉は茶碗作りに熱中していて、ふと音も立てずに屁をしてしまった。きっと春吉君だという声が起こるにちがいないと観念した。しかし、みんなの視線は石太郎のほうに向いている。石太郎もだまっている。春吉は自分だと言わねばと悩みながら、結局白状しないままにこの騒ぎは済んでしまった。春吉は、このまま石太郎に濡れ衣を着せておくのはよくないのではと、十日余り煩悶したが、時が経つにつれ忘れてしまった。

 それから後、教室の屁騒動は全て石太郎だとは信じなかった。そして、大人が涼しい顔をして汚いことを平気でするのと、自分達の屁を石太郎のせいにするのは似通っていると思った。しかしこれは人が生きていくためには時には肯定されるものなんだと考えるのだった。

作品紹介
 昭和15年、ハルピン日々新聞に掲載された。文芸欄を担当していた江口棒一の斡旋による。彼は明治大学文学文芸学科に在籍し文学や演劇を学んでいて、これに関心を持った南吉が同科の澄川稔に紹介されて知り合った友人である。このときの掲載料は一日当たり1円で、当時としては破格に安いが、このおかげで南吉作品の発表の場が確保されたと言っていい。

  昭和四年の日記に屁に関した話があり、「試験中に出てくる奴は恐ろしい。辺りが大変静かだから」とある。これがこの作品の成立に繋がったのかどうかは判らないが、南吉には屁を素材にした作品が多い。