唖の蝉
子供達は夕飯前にみかん畠へ蝉の子を捕りに行きました。
その中に日暮れなのに麦わら帽子をかむっている子が一人いました。その子は唖でした。みかん畠の入口でじいさんが、扉を開けて「一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ・・・」と勘定し、「遠くへ行くと、みかん畑は広いからはぐれる・・・」と言いました。
子供達は、遠くへ行かずに蝉の子を探しました。やがて、晩方のもやが、白い綿のように、みかん畠に沈んでいきました。蝉のからを小指の先にはめている女の子がもう帰ろうといいました。
じいさんは、今度も出て行く子供の数を数えました。「一つ、二つ、三つ、四つ、五つ・・・おや一人足りないぞ」
しばらくして麦わら帽子をかぶった唖の子がいないことが分かりました。子供達はなんだかこわくなって「みしちゃん」と皆で呼ばりました。その子は唖だったから聞こえなかったかもしれません。
子供達はおじいさんと、もう一ぺんみかん畑へ入っていきました。一本のみかんの木に麦わら帽子がかかっていました。そこには、今脱いだばかりの蝉の皮がありました。
みし坊は蝉になってしまったと皆は言いあって、蝉になって飛んでいったに違いないあかね色の空を、一緒に見上げました。
それから子供達は、蝉とりに行っても唖の蝉は捕まりませんでした。「あれはみし坊だから・・・」と言ったのであります。
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作品紹介
昭和5年、南吉、半田中学5年生の時の作品である。
南吉は、八歳の時、母の実家へ養子に出された。この時の様子を後に「住み慣れた生活環境から、ぽっかりひっこぬかれ、両親も兄弟も友達も置き去りにしてまるで違った生活の中におっぽり出された(川)」と書いている。
この体験は、南吉に寂寞の心を育み、喪失の物語を生み出した。
「唖の蝉」も、結末で唖の子がどこかへ行ってしまう。喪失はどこかに違った形の生を想像させるが、悲劇の民話的な形で読後の哀愁をさそう。南吉は、終生喪失の物語を好んで書いた。
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