天狗
 私は東京に住む画家ですが、あまり有名ではありません。また、これから先急に名が上げるということも考えられませんが、私の絵を愛してくれる人がなくなることはないと思っています。
 私が描くのはつつましい絵ですが、そこに半分の夢と半分の現実をつきまぜます。そのほかのもの、理想とか、主張とか、思想とか、風刺とかいうものも気分によってはまぜることもありますが、欠かせぬものは夢です。私どもの日常生活のがらくたの向こうにある(ある特別な人々だけにある)夢です。
 蛍は自分の絵に似ていると思います。蛍をとりまく闇黒を現実にたとえるならば、蛍がそれをたよりにして生きているあのかすかな青い火は、蛍の夢でなくて何でしょう。世の中に蛍に心ひかれる人があるちは、私のようなものの描いた絵も、誰かに静かに愛されゆくだろうと思うのです。
 私は東京に住む画家ですが、私が学んだ小学校が創立50周年を迎えるについて、記念に学校の全景を描いてくれとの依頼があって、帰省して絵を描き始めているのです。
 私が生まれたのは街道沿いの小さな下駄屋でした。店の天井には豊川稲荷と遠州秋葉山の御札が貼ってあり、その近くに大きな瓢箪と一本歯の下駄がぶら下がっていました。この一本歯の下駄は、私と深い関係のあるもので、私の家に奉公していたヒロさんという小僧さんがつくったものでした。ヒロさんは三代続いた医者の家に生まれたのですが四代目の医者になるはずの兄が医者になる気がなくて行方知れずになってしまいました。東京へ出て絵や演劇や音楽を気ままに学び、家へはお金の請求をはがきでよこしていたのです。
 そして七年前、芝居の勉強のためフランスへ行くと言ってきて、たいそうなお金を請求してきました。
 母は、家、屋敷、田畠をかたに借金をして送金したのです。母はその心労がもとで狂い死にし、ヒロさんは私の家に小僧として奉公せねばならなくなったのです。

 原稿に「18.1.18よる9:20染筆」とあり、この日付をもった作品は今のところ見当たらないので、これが南吉の絶筆とされている。語り手の「画家」を南吉におきかえれば、そのまま事実と符合するようなシチュエーションであるから、「最後と思って自伝小説を残そうと考えたように思える」という滑川道夫の見解も出てくる。(牧書店版全集第三巻「解説」)