和太郎さんと牛

 牛曳きの和太郎さんは、大変よい牛を持っています。よぼよぼで尻の肉がこけていますが、和太郎さんが酔っ払って牛車の上で眠っていてもちゃんと家へ戻ってくれます。まるで気がよくきく親切なおかみさんのようです。

 和太郎さんのお嫁さんは、お母さんの眼が気持ち悪いと、ごはんのとき横を向いているので、お母さんは気がねして奉公に出ると家を出て行きました。和太郎さんは、母をよそへやってもよいものかとつれもどし、お嫁さんを里帰りさせ、そのまま離縁してしまいました。そして和太郎さんは、お嫁さんはいらないが子どもは欲しいと考えるようになりました。

 あるとき、滓のつまった酒樽を隣村の酒屋から街の酢屋へ届けることになったのですが、これを坂道でこぼしてしまいました。和太郎さんは、一生に一度の恩返しだとこれを牛になめさせました。そして今日だけは自分はお酒を飲むまいと思いました。ですが帰り道、一本松の茶屋の前を通るときに、つい飲んでしまいました。この日は牛と牛曳きが酔ってしまったのです。

 夜がふけても家に帰らないので、村をあげての探索です。皆は鳴り物をもって、夜っぴけて(一晩中)山の中を探しましたが見つかりません。つかれて村へ帰って道端に座っていると、ひょっこり牛車がやってきました。和太郎さんの牛車です。

 和太郎さんは覚えていませんでしたが、池の中を通ったり六貫山の狐の胡弓を聞いたりしたようでした。その上牛車には花束と赤ん坊が入った籠がのっていました。和太郎さんは、日頃ほしかった子が天から授かったと、和助と名づけて大切に育てたといいます。

作品紹介
 昭和17年5月の作と言われる。昭和17年4月6日の日記に、「牛は三歳まで年齢をいう。あとはいわない。よぼよぼになるまで使うつもりなら30年でも使える。父の話」と記述がある。
 作品の末部に和助は今、ジャワ島あるいはセレベス島で働いているとある。南吉の友人、中山文夫氏が当時この戦線にいて、南吉からの慰問袋に、「中山君が名誉のの戦死となっても君の名がいつまでも残るように『和太郎さんと牛』に君のことを書いておいた」と、手紙があったとのことである。南吉一流の洒落であろう。