百姓の足、坊さんの足
菊次は、雲華寺の米初穂に和尚のお供をして
*ふご をかついで村を回りました。日中まわって鳥谷まで来たとき、日が暮れ、ここでお酒のご馳走になりました。一軒のこして帰ろうとしていたら、米を持って百姓が追っかけてきました。袋がいっぱいだったのでふごの隅に椀をのせましたが、石につまづいたために椀をひっくり返してしまいました。菊次はあわててかき集めましたが、和尚は土がまじっていると捨ててけちらしました。菊次も同調してきちらしました。
この話を聞いた母は、ばちがあたらねばいいがと心配していたところ、案の定菊次の足が痛み出しました。 ありとあらゆる治療、まじないをしましたがさっぱり治りません。しかし、一緒に踏んだ和尚の足は痛む様子がありません。その上一粒の米にも仏様がいらっしゃる、こぼせばばちがあたるとしらじらしく説教しています。菊次はこの不公平に点をうらみました。年をとった母はこれをたしなめました。百姓には米の値打ちもわかっているはずなのに、米を足で踏みにじったからばちがあたったのだと。菊次は、天にも地にも百姓にも心からわびました。足の痛みはとれましたが、一生足を引きずって歩きました。
やがて二人は老人になり、同じ日に死にました。二人はあの世への道を歩いていました。菊次は生前善行をした覚えがないので地獄行きを覚悟していましたが、和尚は当然極楽に行けるものと思っていました。ところが、菊次の姿は金色に輝き、その行く手は真珠色に晴れ渡るのですが、和尚の足は痛みはじめ、行く手は黒雲につつまれていました。
*ふご
農夫が物をいれて運ぶのに用いる、縄ひものついたわらで編んだかご状のもの。二つを前後に天秤棒でかついだ。
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作品紹介
創作メモ「見聞禄」の1941・1・14に、「凍るやうに寒い日暮、街路の上に男は米をこぼしてしまった。(中略) 米をこぼした百姓が、くやしさに踏みにじっていく。すると足がうづく。ばちがあたったのだと思う。」前半の見聞から、後半の着想を得て、「百姓の足、坊さんの足」は作られたのでしょう。
岩滑で報思講の行われる浄土真宗の寺は光蓮寺で、先々代住職の風貌がモデルかと思わせる。また、石段を登る老人の描写は、浄土宗の常福院を思いおこさせる。
この作品の成立は、昭和17年5月といわれるが、不詳。昭和18年9月、帝国教育会出版部刊「花のき村と盗人たち」に収められている。
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